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zoom RSS 真宗連続講座も始まりました。

<<   作成日時 : 2011/04/23 19:51   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 17 / トラックバック 0 / コメント 9

 今年で六年めを迎えた「真宗三連続講座」が始まりました。28人の方々がお越しになられて、多かったのでびっくりました。有難いことですが、一人でもいいから本当に信心をいただいた人に出会いたい、といつも思います。蓮如上人も人の数ではないと、仰られています。
 21日は、東別院に定例法話に行きました。定例でお会いした方も、「お寺の聞法会に参加したい」と言って下さり、有難く思いました。
 明日も刈谷に蓮師会で法話に出かけます。26日は京都へ750回忌のお参りに出かけます。

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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
27・28日と御本山に参拝しました。荘厳な伽陀、板東曲は圧巻でした。きっと一生忘れない思い出になるでしょう。団体参拝の方々が圧倒的に多く、私のような個人参拝者は少数でした。その代わり「中村久子展」などゆっくり見ることができました。

高倉会館では、幡谷 明先生の講演会が聞けると期待していましたが、先生は眼病のため入院され、代わりに蓑輪秀邦館長の講演をお聞きしました。

御門首、宗務総長のお話にもありましたが、今回の震災の、大谷派門徒の受け止め方としては、“諸行無常”とかねて仏説にある通り驚くことはないとの親鸞聖人のお言葉を通して、ますますお念仏を頼りとするしかない身の事実に気づくようにということと、原子力に頼らなければ生活できない私たちのあり方が問われている、とのことでした。

ちなみに本願寺派では、災害援助について、被災者の意に沿わない自己中心的な活動にならないようにとの注意が新門様のお言葉にありました。
titular president
2011/05/01 18:42
幡谷先生は残念でしたね。五月十六日午後一時半から、刈谷の順慶寺さんに来られますから、またご参加下さい。26日の京都は、ご遠忌はすごく寒かったですが、お参りできて、おごそかな雰囲気を味わいました。
悲心
2011/05/02 22:09
今までの真宗セミナー「教行信証」でまだよく理解できないところがあるので、この場をお借りして問題提起をさせていただこうと思います。
「三一問答」について「至心・信楽・欲生」が阿弥陀様の御心ならば、
「設我得仏 於十方衆生をして 我れ至心に信楽し 欲し生ぜしめんと我国に 乃至十念す 若不生者 不取正覚 唯除五逆誹謗正法」
『もし私(法蔵菩薩)が成仏するにあたって、私が心の誠を尽くし、衆生を喜んで信じて、私の仏国土に生まれさせたいと切に願い、そして南無阿弥陀仏の名号を名乗り、衆生に一声ないし十声の称名を回向する。もしそれでも往生しない者が一人でもいれば、私の悟りは完成しない。・・・・・』
・・・そして法蔵菩薩は誓願を成就して成仏を遂げ、現に今、西方極楽(安楽)浄土に阿弥陀如来としていらっしゃって説法しておられる。
阿弥陀様が我々衆生を浄土に迎え入れるため、回向・供養して下さっているというならば、法蔵菩薩の第十八願はこのように字を足して読むと意味が通じる。
信心も念仏も仏様から頂いたものとして受け取ることができる。
私たちが一人残らず、間違いなく極楽浄土へ往生できる根拠は、法蔵菩薩の誓願が成就し、阿弥陀如来として十刧もの昔から成仏していると経典に記載されている事実。
聖典に載っている普通の読み方、「十方衆生 至心に信楽して 我が国に生まれんと欲し 乃至十念せん」では自力の信心、自力の念仏になってしまうではないでしょうか?
自分が阿弥陀如来を信じる、極楽往生のために念仏を称える、違います。私の考え方では、信も不信も関係なく、念仏を称えようが称えまいが、如来の大慈悲による一方向的な二種の回向の結果、我々の極楽往生が確定するというものです。
乱暴なこじつけですが、いかがでしょうか?御批判を承りたいと思います。
titular president
2011/05/25 22:09
五月十六日は、別の用があって、幡谷先生のお話を聞きに行けませんでした。
残念ですが、また御縁があったら拝聴したいと思います。
titular president
2011/05/25 22:12
ますますわかりにくくなってしまいました。
とにかく、自力の修行で仏道を極めるのは凡夫にとっては難しく、仏様の方から私たちに向けて、浄土・仏国土・定寂光土・仏地・仏界に迎え取ろうと回向・供養して下さっておられる。そのことは経典の文字に明らかだ。だから我々の往生は治定なのだ、ということが言いたかっただけです。

我々にできることは、成仏が確定したという、他力により与えられたに立場に喜び感謝し、感謝のお念仏を称えること。

教団を組織する主な意味は、法義の相続と、信心の喜びを同行の人々と語り合って共有し合うため。教団に入会しなくても極楽に往生できると思います。
失礼しました。
titular president
2011/05/25 22:41
名ばかり社長さん、レスが遅れました。まったく言われる通りですが、「念仏を称える」という表現も自分が称えるのか、名号を聞くのか、厳密に考えると表現が難しいですよね。如来より信心をいただくと、念仏もうさんとおもいたつ心が起るわけですから、そのとき他力の念仏を称えることができると思います。厳密に言葉を選んで表現することも大切ですが、いただくのは私自身ですから、そのこだわりがやがてとけて、素直にいただけるようになると思います。でも、そのこだわりの時間も大切な作業だと感じます。
悲心
2011/06/01 23:42
お答えありがとうございます。

お念仏は、だれから言われるでもなく、強制されるでもなく自然に口から出てくると本物だと思います。

先月の三連続講座で、一番大きな声で称えられていた方のように、子供の頃から習慣でお念仏が体に染みついている、このようなあり方でいいと思うのです。
仏様(不可称・不可説・不可思議の真実真理の世界から、衆生が受持しやすいように名号に姿を変えている。仏様の名乗り。)の方からお念仏が我々に対して与えられている、仏様より頂いた、他力のお念仏とはこういうことではないでしょうか?

「他の善も要にあらず、・・・悪をもおそるべからず」人間が、念仏以外の善行をしなくても良い、念仏を称えれば悪いことをしても良い、ということにはならない。念仏は仏様のもの(大行)だからです。
信心も同じく仏様より賜ったもの。人間の信心でなく、阿弥陀如来が、穢土を厭い、浄土に生まれたいと思ってくれと、我々に対し願いをかけておられる。我々に対し信じて欲しいと願っておられる。仏様が我々衆生を信じていて下さる。(大信)

親鸞聖人が熱病のとき、千部読誦中断の夢を見て「自力の宿業は強い」とうなされたことは、聖人が自力から抜け出せないというよりも、夢の中にまで経文が入り込んで来て、頭・体に染みついておられるということではないでしょうか。向こうからお経、お念仏が自然と耳目に入り込んできて、私たちをして称えさせる。
聖人はうなされる必要はなく、本当に他力のお念仏を頂いていた方なのだとこのエピソードを解釈しました。

またしても屁理屈にこだわったごちゃごちゃした文章になってしまいましたが、私としては、なぜお念仏で救われるのか知りたいという欲求があるので、このようになってしまいました。御諒解下さい。
titular president
2011/06/03 00:22
NHK歴史秘話ヒストリア「法然と親鸞」を見ました。
日本人の思想・考え方に大きな潮流を作ったと評価されていましたが、「全てを阿弥陀如来にお任せする。」このような考え方は日本人の思想の一般的なものではありません。
Y氏、H氏がこのような浄土宗・浄土真宗に対する見解を述べておられたら、私達信者が黙っていていいのか?このままでは浄土宗・浄土真宗は、他人任せ、日和見主義、無責任の「他力本願」の宗教だという誤解を受けてしまいます。そもそも全仏教の基本は修行して悟りを開くこと。この原則を忘れてはならないと思います。その上での「他力とは如来の本願力なり」なのです。
末法の世に生を受けて、機根が悪いため自力では悟りを開けない、煩悩具足の私達は、阿弥陀如来の「一切衆生を成仏させる」という本願を頂き、この私がどうであろうと必ず極楽往生に導かれているということに気付いた時、自分も含めたこの世のすべてが仏様の慈悲の賜物であると「おかげさま」の気持ちで感謝のお念仏が出てくる。また極楽往生とは、十界論においては仏界に入ることです。自力の修行ではなく、仏様が私達全てに対して供養して下さったおかげで仏界に入ることができるのです。
titular president
2011/06/29 02:29
つまり何が言いたいかというと、法然上人・親鸞聖人が後世の日本人に遺された大きな足跡は、「おかげさま、南無阿弥陀仏」と、仏様の視点から見れば、一切衆生はみんな将来仏になるべき対象という、平等、解放思想ではないかとおもうのです。
「すべてを仏様にお任せする」という考え方は、今回の震災のように、人間の力では何ともできない不運・不幸に出くわした時、効果がなくてもただおすがりして称える悲しいお念仏。
時処諸縁も障りなく、貪欲瞋恚愚痴の時でさえ常に一緒にいて下さる。お念仏のあるところに常に仏様は寄り添って下さっています。悪い心を持っていてもそれを気付かせて下さる。
浄土三部経に説かれてある通り、私達一切衆生を極楽浄土へ往生させるために、仏様が回向・供養して下さっている。その誓願が達成されたと経典には書いてある。これこそが私達が成仏(極楽往生)できる根拠なのです。
阿弥陀様や極楽浄土が実在するかどうかは問題ではありません。
キリスト教的な言い方をすれば「あなたはずっと前から、神様に愛されていた。」キリスト教では神様という絶対者を必要としますが、仏教にも共通するのは、「あなたは愛されている。」という事実なのです。
titular president
2011/06/29 02:58

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